制作日誌

私たちは、2014年に高沢地区で、ドキュメンタリー映画を作成しました。

監督の黒澤が当時を振り返り、制作の様子を綴ります。

第0話「毛の生えた坊主」

大学3年の夏休みが終わった。

日本映画大学のドキュメンタリーコースに在籍している僕は、来年の卒業制作の企画を考えねばならなかった。

企画提出は強制でもなかったが、どうしても在学中に1本、監督と名乗った作品を残したかった。

そんな折に、ある記事を読んだ。糸井重里さんと中沢新一さん、そして本木雅弘さんの対談。

映画「おくりびと」が公開された頃の記事なのだが、その中で「毛坊主」について言及していた。

毛坊主とは髪を剃らず、妻帯して普段は農業などをしながら葬儀などで僧侶の役をつとめた者。

浄土真宗の盛んな農村地域にあったもので、出生からお棺まで、村に起こる生死の一切を取り仕切っている者。

共同体の生と死を一人で背負う存在に興味が湧いた。

ぼんやりとではあるが、僕は企画のテーマを決めた。

毛坊主についてあれこれ調べる中で、ふと考えたことがある。

どうもドキュメンタリーは「肩書き」がある人間でないと出演者に選ばれないことが多いらしい。

元軍人、障害者、在日韓国人、妻がフィリピーナ、そして毛坊主。

もちろん、ドキュメンタリーは実在の人を撮るため、どこにでもある肩書きじゃあ探しようがない。

しかし、この肩書きありきで「ネタ」を探すことに対して、僕は少し辟易していた。

特別な肩書きのない、もっと普通な人が出演してもいいのではと思った。

出会いに恵まれて、そんな普通の人たちをテーマに作品が撮れたら……と調べるのに飽きたら妄想していた。

妄想を抑えながらリサーチを続け、図書館にも通ったが、目ぼしい情報がなかなか見つからない。

結局ネットに頼ることになった。雰囲気が出ないが仕方ない。

不確かな情報をかき集め、どうにか毛坊主がいると思われる場所を突き止めた。

そして、僕は毛坊主に会うために熊本へ向かった。

 

第1話「ゲートボール」

「高沢に行く人を乗せるなんていつぶりだろ」

タクシーの運転手さんがつぶやく。

熊本県八代市の八代駅から鹿児島県霧島市をつなぐJR肥薩線の一勝地駅から車で15分。

山道を上った先に高沢地区がある。

都会で生活してきた僕にとっては、この時点で不便な場所だと思った。

さらに進むと道路脇に立てられた「ケータイ利用できます FOMA」の看板が視界に入る。

人が寄り付こうにも無理な話だ。

浄土真宗が盛んな地域に毛坊主の文化があると言われている。その一つが熊本県球磨村高沢地区だった。

高沢地区に到着。タクシーを降り、集落の中央を通る道を歩く。

人が暮らす気配のない家や閉店した商店、古びた理容室などが目に入る。

村人にも出くわさない。

11月の曇り空と枯れ木も相まって暗然たる雰囲気。

限界集落、過疎地といった言葉が頭に浮かぶ。

ひとまず、高沢の元祖毛坊主と思われる高沢徳右衛門の墓を見ようと丘を上る。

すると、集落に来てから皆無だった人の声が聞こえてくる。

丘に上がると、そこは広場になっており、10人ほどのおじいちゃん、おばあちゃんがゲートボールをしている。

ボールを打つ音とその後に湧き上がる歓声が曇天に響く。

さっきまでの暗い気持ちはどこかへ消え去った。

これがきっかけだった。

閑散とした集落の風景とそこに暮らす賑やかな人たち。この相反する二つが共存している場所が僕には魅力的に映った。

結局、毛坊主の取材は上手くいかなかったのだが、あの妄想していた「肩書きのない普通の人たち」をここなら撮れるかもしれない。

僕の妄想は膨らみ続け、卒業制作の企画を変更することに。そして運よく制作が決まったのだった。

こうして、幾ばくの期待と不安を抱えて、高沢に通う日々が始まった。

 

第2話 「腹ごしらえ」

2014年1月。山の木々を覆う濃い霧。足音を際立たせる霜。高沢は冬の寒さが本格的になっていた。これから2週間かけて冬の高沢を撮影する。

作品のコンセプトは集落の四季を通して、人々の暮らしと文化をみつめる。この時期は年明けということもあり、集落の行事も多い。今回の目玉は集落にある説教所で行われる「御文章起こし」。

集落のお堂の上方の位置に家を構える高澤喜純さん(当時84歳)。

初めて高沢を訪ねた時に会いに行った人。つまり毛坊主だ。葬式や出産といった行事は取り仕切っていないが、今回の御文章起こしでお経を読んだり、伝統の祭りを仕切ったりしている。喜純さんの家は代々このような役割を担ってきた。僕たち撮影スタッフが家にお邪魔するといつもご飯の心配をしてくれた。

 食料に関しては集落を下りて定期的に買い出しすることを考えていたのだが、心配はいらなかった。まず御文章起こしで振る舞われた煮しめをたくさんいただいた。味は砂糖たっぷり、醤油たっぷりのおかげで少し濃いめ。血圧が心配になったが、冬も畑仕事をして汗をかく人のための、高沢伝統の味付けだそうだ。具にしっかり味が染みてて、冷めても美味い。あるとついつい手を伸ばしてしまう、癖になる代物だった。

 季節の野菜は大根。撮影が終わり、借りている集落の宿に戻ると玄関前に大根が連日置かれている。日々の積み重ねによって大根の量はスタッフ3人の胃袋では収集がつかなくなっていったが、溢れるほどお腹は満たされ、とてもありがたかった。

 そして、集落内で唯一商いをしている高澤英輔さんの豆腐屋。ここの揚げ豆腐は大きく、味も絶品。軽く焼いて醤油を垂らすと最高の肴になる。今回の豪雨でお店を休まざるを得なかったが、営業再開に向けて準備していくとのこと。高沢を訪れた際は是非ご賞味あれ。

第3話 「後悔先に立たず」

春。桜が満開に咲き、緑も豊かで心地よい陽気。冬に比べ高沢の雰囲気はガラッと変わっていた。

春は撮影項目が多く、気合いは入っていたが1つ不安なことがあった。忠男さんのことだ。

高澤忠男さん(当時82歳)は集落の一番奥の場所に暮らしている。前年の秋。二度目に高沢を取材した日はあいにくに雨だった。できるだけ多くの人に出会って、撮影対象を選びたいと思ったのだが、案の定、外に出だしている人はいなかった。諦めかけていたころ、ずぶ濡れになりながら原付バイクを車庫に入れる人をみつけた。その人が忠男さんだった。車庫にあった無数の工具と手作りの手すり。働き者且つ、控えめな話し方に惹かれた。冬に忠男さんの撮影はしたが、それからの撮影に関しては断られており、交渉は春へ持ち越していた。

そして、春になり忠男さんに再度撮影を申し込んだ。全く乗り気じゃない忠男さんに何度も何度も、頭を下げて頼みこんだ。忠男さんも気の毒に思ったのか、最後は折れてくれた。ホッとしたのと同時に、ちょっと申し訳ない気持ちになった。

しかし、自宅での撮影が始まると忠男さんはスタッフにお酒を注いでもてなしてくれた。撮影を続けていると点けていたテレビから『鶴瓶に乾杯』が流れる。すると「あんたらが来てからこれを見て勉強してる」と忠男さん。どうやら撮影スタッフを番組のようにもてなせるか気になっていたらしい。その後は空気が和んで良い撮影になった。

それからは撮影が無くとも忠男さんの自宅で酒を飲んだ。普段、物静かな忠男さんが酔っぱらって陽気になるのが、話していて楽しかった。映画が完成し、高沢で上映した時も丁寧にお礼をしてくれた。大学を卒業してからも、忠男さんは僕に電話をくれて、僕やスタッフを気にかけてくれた。

撮影から3年後。仕事を言い訳に僕は一度も高沢へ行かず、その間に忠男さんは亡くなった。知らせを聞いて数か月後に僕はようやく高沢へ向かった。忠男さんの自宅を訪ねると、奥さんのひろ子さんは集落から離れた施設で生活しているため、誰も住んでいなかったが、無数の工具とバイクはそのまま残っていた。

せめてもう一度会いたかったと、亡くなってから思う薄情な僕に優しくしてくれた忠男さん。電話で、作品を収録したDVDの観方が分からないと言う忠男さんに方法をいくつか伝えたが、あの後、観ることができただろうか。今更何を思っても仕方ないのだが、やっぱりもう一回会って、一緒に焼酎を飲みたかった。

第4話 「山ん太郎に注意」

球磨村には「山ん太郎」いう妖怪がいるらしい。山に潜む妖怪で高沢の人たちも皆知っており、取材中ちょくちょく話題になった。ただの言い伝えにしては、真面目すぎる口ぶりで山ん太郎を語っていたのが印象的だった。

ある日、集落の俯瞰の画を撮ろうと丘へ上がった。集落を見下ろすと高澤浩吉さん(当時54歳)がスタッフの泊まっている宿に来るのが見えた。この頃はまだ浩吉さんの撮影をしていなかったが、関係性は悪くなかった、と思う。僕は普段遠くの人を呼びかけることはないのだが、気を引きたくて「浩吉さーーん!」と叫んだ。すると浩吉さんがものすごい剣幕で捲し立てる。手の動きから察するに「こっちに来い」と言っていた。

浩吉さんの元へ行くと腰には鎌が差さっている。僕は一歩後ろに下がった。

だが浩吉さんの話をよく聞くと、その日スタッフが山に行くのを見たらしく「奥に行き過ぎると山ん太郎が出てきて連れ去られる、山から出られなくなるぞ」と注意してくれた。わざわざありがとうございますと感謝すると「ハハッ」と笑って浩吉さんは帰っていった。

浩吉さんが山ん太郎をどう思っていたのか分からないが、浩吉さんの優しさが嬉しかった。だが、同時に鎌にビビった自分が恥ずかしかった。そんな事ある訳ないのに、少し非常識で少年のような言動をする浩吉さんならやりかねないと瞬時に思ってしまった。

作品で高沢の人たちが知らない浩吉さんの一面を見せたいと思ったが、こんな調子じゃダメだなと落胆した。

この反省を生かして(?)、浩吉さんの撮影はかなり身を委ねて行った。方法も描き方も他にやりようはあったと思うが、浩吉さんを型にはめるような描き方はしたくなかった。この思いだけは守れたと思う。

ちなみに、山ん太郎について喜純さんに詳しく話を聞いてみた。その昔、山にいた猟師が山ん太郎の存在に気づき、猟銃で威嚇したという。鳴り響く銃声。すると山ん太郎も「バーン!」と言い逆に猟師を驚かせたという。山ん太郎は決して人に悪さをするわけでなく、いたずらが好きなだけとのこと。出来ることなら山ん太郎のいたずらを体験したかった。

第5話 「祭りのあと」

高沢は静かだ。都会の喧騒を忘れさせる静けさと鳥のさえずり。田舎暮らしとか興味を持ったことがなかったがアリかもしれない。高沢に通う中で僕はそんな事を思い始めていた。

ある日、前夜に酔い潰れた翌朝のことだ。宿の外へ出ると喜純さんが自宅の前にいるのが見えた。声をかけて二人で喜純さんの家の縁側に座ることに。その日も静けさが心地よかった。すると「静かじゃな」と喜純さん。「ですねー」と僕。すると喜純さんが「まだ学校があった頃は、こんなに静かじゃなかったんじゃけどな」。

返す言葉がなかった。この静けさは、高沢の人にとって癒しではない。高沢の生活をただの田舎暮らしと呑気に捉えていた僕は頭をガツンと殴られた気分だった。

そんな静かな高沢が賑やかになる時期がある。夏休みだ。早朝にお堂前で行われるラジオ体操から始まり子供たちが一日中集落で遊びまわる。僕は子供と関わるのは不得意だが、高沢の子供には意外と懐かれた。大学生と遊ぶのが珍しかったのだろうが、ちょっと嬉しかった。

そして、夏祭りの前には帰省する人も多い。高沢が少しの間、昔の活気を取り戻す。祭りが行われる小学校には多くの人が集まり、大大宴会となった。また祭りではドリンク早飲み競争が行われ、僕も半ば強制的に参加した。500mlほどのドリンクをストローで飲むという競技で、僕は控えめな雰囲気を出しつつも自信があり、本気で勝ちに行った。しかし、バキュームカーみたいな吸引力を持つ人がいて完敗。そのうえ、がっつりドリンクを吹き出す失態を犯し、子供たちに散々バカにされた。

祭りが終わった翌日。小学校に向かった。提灯や紙コップなど祭りの名残が残る体育館。セミの鳴き声がうっすら響く。ほんの少しだけ、喜純さんの気持ちに触れたような気がした。

 

 

 

 

第6話 「実りの季節」

夏の撮影が終わり、後は秋の撮影を残すのみ。一年かけた撮影もいよいよ大詰めを迎えたのだが、大きな問題が発生した。

編集が進んでいないのだ。完成の締め切りから逆算すると、秋に撮影をするのはありえないと大学の講師陣に言われる。しかし秋の要素がなければ作品として成立しない。締め切りに間に合わなければ卒業できないと言われるも、そんな脅迫に屈せず僕らは高沢に向かった。

とは言え、不安だらけだった。具体的な撮影内容の案が出せず、漠然とした喜純さんの「何か」しかスタッフにも伝えられなかった。そして、その何かを撮れるチャンスは二度もないだろう。僕は喜純さんの撮影を一度だけ、帰京する前日に決めた。この一度の撮影に喜純さんの思いを凝縮させるため、僕らはこの間、喜純さんとの会話を控えた。喜純さんの僕らと話したい欲を焦らして、色んな話を引き出させる作戦だ。喜純さんに悪いと思ったがその思いは無視した。後ろめたさを感じている場合じゃない。必死だった。

喜純さんの撮影は2時間以上に及んだ。「これならイケるかも」と何回思ったか分からない。はっきりした手応えがなかったのだ。本気で「これならイケる」と思うことはその後の編集でもなかった。制作の終盤は怒涛すぎて作品を作った実感が湧かなかった。

それでも、作品が自分の手から離れ、誰かのものになることの喜びは味わった。完成後の上映会に始まり、映像祭参加、ケーブルテレビでの放映などによって、ささやかではあるが作品を観てくれた人から反響があった。大学を無事に卒業し、テレビ番組の制作で小忙しくする生活の中でも、「高沢」は僕の人生に良い刺激を与え続けた。

昨年の豪雨で高沢は甚大な被害を受けた。こんな強い刺激は全く必要ないのだが、これを期に高沢の人たちと再び連絡を取り合い、現地へ行き、拙作を配信することになったことは素直に嬉しい。

そして今度は僕が、今回の取り組みによって高沢に良い刺激を与えたい。たくさんの人に「高沢折々」を観てもらい、少しで多くの人が高沢を想ってくれることを願っています。

 

 

撮影から3年後、喜純さんが亡くなりました。

喜純さんと出会えたから『高沢折々』を制作することができました。

感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

映画「高沢折々」

高沢を舞台にした日本映画大学一期生による卒業制作作品。2014年制作。様々な歴史や文化がある一方で、過疎化、高齢化が進む高沢。ここで生きる人々の1年を描いた。その後追加シーンを加えた再編集版は第35回「地方の時代」映像祭2015で奨励賞を受賞。